と、表題の重厚さとは裏腹に歴史にあまり詳しくない加藤です
今日はお仕事に例えて書いてみます
同じミスは頻繁に繰り返します。
これの原因は明らかです。
それは以前にも書きましたが、ミスをした人がどう受け止めるか?です。
「なぜ起こったのか?」という原因究明をするのですが、それ自体が目的ではなく、
ミスを犯した人が「自分がミスをしたんだ」と理解する要素になるために原因究明は必要なのです。
が、現実はそうはいかないのですねぇ
今までの教育の過程でしょうか?
子供を思い浮かべてください。
子供って、いたずらや悪さをしますよね?
バレたときに必ず言いますよね?
「僕(私)じゃない。
僕(私)じゃない。 」
詰めようとして原因究明をしていくと、
「うぇーんうぇーん」と泣いてごまかしますよね?
絶対に謝りません。認めたくないんでしょうね。
上記のまま育ってきた人が多いのでしょうね。
必ず先ずは人のせい
自分かも?と考えず人のせい
自分だとわかれば、なぜそうなったのかの原因究明ではなく、
自分のミスが仕方がないんだという言い訳探しのための原因究明
逃げも隠れもできなくなると、以前の反例を持ち出し、
「あの時はこうだった」などを持ち出す本末転倒な話。
ややもすれば、その反例を今回にもかぶせて名言を吐く。
「いつものことだね」
うぉーい!!
一言だけ言わせてくれ!
「子供か!」
同じミスを繰り返さないようにすることはとても簡単なのですが、実体験としてとても苦労しました。そして反省し、学びました。
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