「なれなかった自分になるのに、遅すぎることはない」
ジョージ・エリオット(イギリスの小説家)
ちょっとしたことで、すぐに落ち込んだり、物事を悲観的に考えている人がいました。
あるとき彼は、有名なオーケストラのコンサートに招かれました。
招待してくれた人は、その人に、こんなことを言います。
「このオーケストラは、才能溢れる音楽家たちが、毎日、練習に練習を重ねて、演奏に磨きをかけている。だから、本当に一糸乱れぬ、すばらしいハーモニーを聞かせてくれる。でも、やっぱり人間だから、どうしても少しは、音がズレたりすることもあるそうだ。そんなバランスの乱れを見つけるのも、コンサートの楽しみのひとつだよ」
彼は、なるほどと思い、コンサートがはじまると、誰か音を外さないか、ハーモニーが乱れることはないかと、一生懸命に聞いていました。確かに、数回、気づかないくらいの僅かな乱れがあったように感じました。演奏の間の休憩時間に、招待してくれた人は、彼に声をかけます。
「どうだい。コンサートは楽しいかい?」
彼は、肩をすくめました。
「いいえ、オーケストラの乱ればかりが気になって、音楽を楽しむどころではありませんでした。全然面白くなかったですよ」
「そうかい。じゃあ、今度は、ただオーケストラのハーモニーを聞くようにしてみたまえよ」
彼は、言われた通り、コンサートの後半は、バランスのとれたオーケストラの演奏に耳を傾けました。なるほど、世界的に有名なだけあって、本当に、すばらしい音楽で、心を打たれるような感動を覚えました。コンサートが終わるやいなや、彼は、招待してくれた人に、目を輝かせながら、感謝のことばを伝えます。
「ありがとうございました。こんなにステキな音楽を聴けて、本当によかったです」
招待してくれた人は、彼に笑いかけます。
「楽しんでくれたようで、私もうれしいよ」
「前半は、ハーモニーの乱れを探していて、つまらなかったのですが、後半は、心から音楽を楽しめました。こんなことなら、はじめから、余計なことをせずに、ただ音楽を楽しんでおけばよかったと思いますよ」
「気づいたかい?それは人生だって同じだよ」
「え?」
「君は、よく物事のネガティブなところに意識を向けて、落ち込んだり、悲観的になったりしているだろう。そんな生き方は、楽しいかい?」
「……それは、……あまり楽しいものではありません……」
「そうだろう。そんな生き方は、オーケストラの、僅かな乱れを探しているのと同じことだよ。ちょっと、意識を他に向けて、ただ、目の前にあることを、ただ楽しむこともできるだろう。そっちの方が、ずっといいとは思わないかい」
私たちは、自分が聞こうとするものを聞き、見ようと思うものを見ています。そして、見たもの、聞いたものが、意識のなかで大きな位置を占めることになるので、どんどん拡大していくことになります。つまり、自分が思っている通りの人生を生き、信じていることが実現するのですね。
今が、どんなに辛く苦しくても、そんな現実を創ったのは、誰でもない、自分自身だということになります。
……と、いつものクセで、これを悲観的に受け取る必要はありませんよ。
だって、これから、どんな現実を生きるのかを決めるのも、誰でもない、自分自身なのですから。気づいた瞬間から、新しい現実がはじまるのです。さあ、あなたは、今、、どんな楽しくてすばらしい、望む人生を創りだしていますか?